問題例

第二章

第一問

徳川家康の十一男で、幼名は鶴千代丸。家康に六歳の時「何が欲しいか」と問われ「天下」と答えた初代水戸藩主とは誰か。

  • 1.徳川頼房
  • 2.徳川光圀
  • 3.松平忠昌
  • 4.松平忠輝
第二問

幼名は武藤弁丸。正妻には大谷吉継の娘を迎え、大坂の役では天才軍師として名を残した武将とは誰か。

  • 1.真田幸隆
  • 2.真田信繁
  • 3.真田昌幸
  • 4.真田信之
第三問

通称「小十郎」と呼ばれ、この名は仙台藩片倉氏の初代から代々当主が名乗るようになった。その初代とは誰か。

  • 1.伊達成実
  • 2.片倉景長
  • 3.片倉景綱
  • 4.伊達政宗
第四問

幼名を与吉。何度も主君を変えた武将として知られる一方、豊臣秀長に対しては生涯義理を貫いた。築城の名手でも知られる武将とは。

  • 1.黒田如水
  • 2.浅井長政
  • 3.加藤清正
  • 4.藤堂高虎
第五問

父と同じくキリシタンで洗礼名はダミアン。知略の父とは異なり武勇に優れた勇将で福岡藩の初代藩主は誰か。

  • 1.黒田長政
  • 2.大村純忠
  • 3.大友宗麟
  • 4.小西行長
第六問

はじめ鷹匠として家康に仕え後に江戸幕府の老中となり「害を避くるを知りて、害を避くるの害を知らず。」と家康に進言した武将は誰か。

  • 1.本多正信
  • 2.本多忠勝
  • 3.本多重次
  • 4.本多正重
第七問

幼名は竹千代。元服して次郎三郎元信と名乗り、後に祖父の名から蔵人佐元康と改めている武将は誰か。

  • 1.織田信長
  • 2.徳川家康
  • 3.前田利家
  • 4.伊達政宗
第八問

「それは痰(たん)の毒なり、食すまじ。」と死の直前まで生きることを考えていた武将とは誰か。

  • 1.石田三成
  • 2.島左近
  • 3.大谷吉継
  • 4.豊臣秀頼
第九問

幼名は夜叉丸。「賤ヶ岳七本槍」の一人として豊臣秀吉の家臣として仕えた。、関ヶ原の戦い後は熊本藩主となった武将とは誰か。

  • 1.福島正則
  • 2.片桐且元
  • 3.加藤清正
  • 4.藤堂高虎
第十問

伊達政宗の命を受けエスパーニャ人と慶長遣欧使節団を率いてローマに渡航しローマ教皇に謁見した武将とは誰か。

  • 1.山田長政
  • 2.角倉了以
  • 3.支倉常長
  • 4.俵屋宗達

答えをみる

注目! 出題例題

8/14(金)に夕刊フジ「検定の花道」のコーナーで紹介された次の例題3問が10/12の試験にも出題されます。
しっかりチェックしておきましょう!

第一問

武田信玄の言葉「( )は城、( )は石垣、( )は堀、情けは味方、仇は敵なり」で、すべての( )に入るのは?

  • a.情
  • b.金
  • c.馬
  • d.人
第二問

「政宗、一生驚くことなかりしに、この( )の価何千貫目といふに心奪はれて驚きたるは口惜し」。伊達政宗が心を奪われた( )とは何?

  • a.脇差
  • b.白馬
  • c.茶碗
  • d.壺
第三問

「一旦の約の重きことを存じて較ぶれば、信濃一国は申すに及ばず、日本国を半分賜はるともひるがへしがたし」。これは、真田幸村が誰に当てたもの?

  • a.石田三成
  • b.伊達政宗
  • c.武田信玄
  • d.徳川家康

答えをみる